「かわいそう」と決めつけない|相手の気持ちを尊重するコミュニケーション
「かわいそう」
相手を心配しているからこそ、出てくる言葉だと思います。
くじが当たらなかった。
折り紙がうまくできなかった。
留守番の時間が少し長かった。
そんなとき、子どもに対して「かわいそうだったね」と言うことがあります。
私の母も、孫である私の子どもたちに対して、よく「かわいそう」という言葉を使います。
もちろん、悪気があるわけではありません。
むしろ、孫を大切に思っているからこそ出てくる言葉なのだと思います。
それでも私は、できれば子ども本人にも、私たち親にも、「かわいそう」と伝えないでほしいと思っています。
なぜなら最近、
「かわいそう」は本人の気持ちではなく、それを見ている人の感想なのではないか
と思うようになったからです。
「かわいそう」は事実ではない
たとえば、子どもがくじを引いて外れたとします。
「くじが外れた」
これは事実です。
その子が「悔しい」と思ったのであれば、それは本人の感情です。
一方で、
「当たらなくてかわいそう」
というのは、その出来事を見た周囲の人の解釈です。
本人は意外と、
「残念。またやりたい」
くらいにしか思っていないかもしれません。
折り紙がうまくできなかったときも同じです。
本人は、
「難しかったけど、もう一回やってみよう」
と思っているかもしれません。
そこに大人が、
「うまくできなくて、かわいそうだったね」
と言う。
そうすると、本来は「うまくできなかった」という出来事に、周囲が「かわいそうな出来事」という意味を加えることになります。
私は、この違いを意識することが大切なのではないかと思っています。
「かわいそう」と言われ続けると、どう感じるだろう
なぜ私がこの言葉を気にするのか。
考えてみると、私自身も「かわいそう」という言葉を身近に感じながら育ったからだと思います。
もちろん、「かわいそう」と言われたことだけで、その後の考え方や自己肯定感が決まるとは思っていません。
ただ、自分自身を振り返ると、周囲からの言葉によって、自分の状況を判断してしまうところがあったように思います。
「これは嫌なことなんだ」
「私は大変なんだ」
「私は傷ついているんだ」
自分がどう感じたかよりも、周囲からどう見られているかによって、自分の気持ちまで決めてしまう。
そんな経験があるからこそ、「かわいそう」という言葉を繰り返し伝えることが、子どもの自信や自己肯定感に影響することはないのだろうか、と考えるようになりました。
少なくとも、自分の子どもには「私はかわいそうなんだ」と捉えるより、
「うまくいかなくても、またやってみればいい」
と思える人になってほしいと思っています。
大人になって「かわいそう」と言われたいだろうか
これは子どもだけの話ではありません。
大人の自分に置き換えてみると、もっと分かりやすい気がします。
たとえば営業で、一生懸命提案したけれど受注できなかったとします。
そんなとき、
「頑張ったのに受注できなくて、かわいそう」
と言われたら、どう感じるでしょうか。
私は、うれしくありません。
むしろ、少し恥ずかしいような、居心地の悪い気持ちになると思います。
それよりも、
「今回は何が足りなかったんだろう」
「次はどこを変えたら受注できるだろう」
と一緒に考えてもらえる方が、ずっとありがたいです。
受注できなかったという事実は変えられません。
だからこそ、そこに「かわいそう」という評価を加えるより、起きたことを整理して、次にどうするかを考える。
私は仕事でも、そんなコミュニケーションを心がけています。
事実・感情・解釈を分けて考える
コミュニケーションでは、
「事実」「本人の感情」「自分の解釈」
を分けて考えることが大切なのではないかと思っています。
先ほどの営業の例なら、
「受注できなかった」は事実。
「悔しい」は、本人がそう感じているのであれば本人の感情。
「かわいそう」は周囲の解釈です。
この3つは似ているようで、まったく違います。
もちろん、相手が本当に悔しがっていたり、悲しんでいたりするのであれば、その気持ちは受け止めたいと思います。
ただ、その感情までこちらが決める必要はありません。
「どうだった?」
と聞いてみる。
そして本人が、
「悔しかった」
と言ったのであれば、
「悔しかったね」
と受け止めればいい。
大切なのは、自分の解釈を相手の感情として決めつけないことなのだと思います。
「かわいそう」の代わりに、次につながる言葉を
だから私は、子どもが何かに失敗したとき、
「かわいそうだったね」
ではなく、
「よく頑張ったね」
と伝えたいと思っています。
そして、
「もう一回やってみる?」
「どうしてほしい?」
と聞く。
助けてほしいと言われたら、手伝えばいい。
自分でもう一度やりたいなら、見守ればいい。
実はそれほど気にしていないのであれば、こちらも必要以上に引きずらなくていい。
大人が先に答えを決めず、本人がどう感じていて、これからどうしたいのかを聞く。
その方が、相手にとって参考になるコミュニケーションになるのではないかと思います。
過去を責めるのではなく、次に生かす
これは、私が管理職としてメンバーと接するときにも意識していることです。
何か失敗が起きたとき、
「なぜこんなことをしたの?」
「どうしてできなかったの?」
と過去を責め続けても、起きてしまったことは変えられません。
もちろん、原因を振り返ることは必要です。
ただし、それは誰かを責めるためではなく、次に生かすための振り返りでありたいと思っています。
「何が原因だったと思う?」
「次はどうすればいいと思う?」
「何かサポートできることはある?」
そうやって、次の行動を一緒に考える。
子どもに対しても、
「失敗してかわいそう」
で終わるのではなく、
「じゃあ、次はどうしようか」
と一緒に前を向く。
私はその方が、相手の力を信じているコミュニケーションだと思っています。
相手を「かわいそうな人」にしない
「かわいそう」という言葉には、優しさがあります。
だから、「かわいそうと言ってはいけない」と言いたいわけではありません。
ただ、相手がどう感じているのかを確認する前に、こちらの解釈を相手に渡さない。
私はそこを大切にしたいと思っています。
「かわいそうだったね」
と決める前に、
「どうだった?」
と聞いてみる。
うまくいかなかったら、
「よく頑張ったね」
と伝える。
そして、
「次はどうする?」
「どうしてほしい?」
と聞いてみる。
起きたことは事実として受け止める。
本人の気持ちは本人に聞く。
そして、必要なら次を一緒に考える。
子どもでも、部下でも、パートナーでも同じです。
相手を「かわいそうな人」と決めるのではなく、「自分で考えて、次に進める人」として接する。
私は、そんな前を向くコミュニケーションを心がけていきたいと思っています。
